和田典子著作選集

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和田典子著作選集編集委員会 編

民主教育研究所 『人間と教育』 No.56(2007年12月)
鶴田敦子 (大学教員)

 

男女共修家庭科・男女平等教育の理論から学校教育の再考に迫る

和田典子氏は男女平等教育の実現に生涯をかけてたたかった実践者・研究者である。和田氏は戦後35歳にて、男女共学になった都立戸山高校に始めての女性教員として勤務し、日教組の運動にかかわるなかで、民問教育団体「家庭科教育研究者連盟」の創立の中心的メンバーとなり、後に、様々な大学で教鞭をとられ、男女共修の家庭科、男女平等教育に最も大きな影響力を与えた第一人者である。本書は、2005年11月、89歳にて逝去されたのを期に、和田氏にゆかりがあった者達があつまり、和田典子著作選集編集委員会(井上恵美子、斎藤弘子、鶴田敦子、永井好子、朴木佳緒留、丸岡玲子、吉村姶子、米田俊彦)を立ち上げ、約500点余の著作の中から約1年半の編集作業を経て25の珠玉の論文集として刊行されたものである。

第1部の座談会は、戸山高校勤務時代の同僚の武藤徹氏、家庭科教育研究者連盟の斎藤弘子氏、家庭科の男女共修をすすめる会の元世話人半田たつ子氏、男女平等をすすめる教育全国ネットワーク吉村姶子氏、国際婦人年連絡会丸岡玲子氏が、『性役割をのりこえて―和田典子先生のあゆみと家庭科の歴史」(1995)を著された朴木佳緒留氏(神戸大学)の司会で和田氏の人とその仕事について語っている。この座談会からは、戦後の男女平等教育の歴史及びそれを担ってきた女性達のたたかいの歴史を読みとることができる。

また、1974〜1976年に行われた日教組の中央教育課程検討委員会に集まった教育学研究者達が、家庭科には教科理論がないという理由で和田氏の主張を受け付けなかったことに対して号泣されたのは、女性解放について日教組が応えていないという悔し涙であったというエピソードなど、和田氏のたたかいと人となりを浮かびあがらせている。

第2部の著作論文は、時代毎に区切って収録されている。

1 1960〜1970年代

この年代は和田氏が家庭科の教科理論を模索した時代である。学習指導要領や家族政策の批判的検討から教科論に着手した論文と、家永教科書訴訟での原告証人側の証言記録が収録されている。

2 1970〜1980年代

男女共学の家庭科教育の理念を全面的に展開した論文である。また、家庭科教育不要論に対する反論および文部行政に対する批判の論文等を掲載している。

和田は、家庭科は、憲法に定める第24条第25条規定を実質的に保障することをめざして、

a 家庭の営みとしくみの事実をただしくとらえ
b 生命と生活を守り発展させるために、科学や技術をどう生かしてきたかを学びとることを通して、
c 家庭生活の矛盾を認識し
d これを打開する道すじを展望し、実践しうるカを育てるものでなければならない

しかし、「生命と生活の再生産」は一方では、生活手段すなわち衣食住などの生活資料の生産とそれに必要な道具の生産とかかわり、他方では人間それ自身の生産すなわち種の繁殖とかかわるというように広範な内容を含んでいるから、家庭の営みとそのしくみも、この広範な内容との関連でとらえなければならないと記している。

3 1980〜2000年代

家庭科教育以外の、学校教育や家庭教育、他教科の教科書のジェンダー視点での分析、男女平等教育や女性運動に関するものなど、ジェンダー・イコーリティに関する幅広い論文を収録している。

4 戦後史におけるジェンダーの平等教育

戦前・戦後の歴史を男女平等とその教育という視点から分析し、さらにそれを和田の個人史と重ねた論文を収録している。

後末の500点余の著作目録は、朴木が作成した資料をもとに、艮香織、宇津野花陽、小高さほみの若手研究者が作成している。

以上の論文は、そのまま戦後の日本の男女平等教育の歴史であると言える。本書に収められている論文は、現在にもそのまま通用する、鋭い問題提起を含むものばかリである。それは、家庭科の教科理論のみだけでなく、学校論および学校カリキュラム論をジェンダーという視点からの再考を迫るものだからであろう。これまで家庭科教育や男女平等教育に触れてこなかった全ての教育関係者の教育論の転換を迫るものと思われる。一読の価値ある著作集である。

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