和田典子著作選集

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和田典子著作選集編集委員会 編


日本教育史研究会 『日本教育史往来』
No.171(2007年12月31日)
宇津野花陽 (お茶の水女子大学大学院)

和田典子氏は1915年生まれ、高等女学校卒業後東京女子高等師範学校家事科で学び、1938年から1944年まで高等女学校の教諭、戦後は1947年から1950年まで東京女子高等師範学校研究科で学んだ後、1950年から1979年まで東京都立戸山高等学校で家庭科の教員をしていた。2005年9月30日に亡くなった(享年89歳)。和田氏の著作物、授業の記録、所属してきた会の記録、蔵書などの資料は和田典子著作選集編集委員会において保存のための整理をすすめている。本書は、そのうち著作物についてまとめたものである。私も委員の一人として著作目録の作成に関わらせていただいた。

本書は大きく3部構成になっている。第1部は「座談会 和田典子の人とその仕事」、第2部は「和田典子著作論文」、そして最後に和田典子氏の著作目録と略歴が収録されている。第1部では和田氏と教育や研究、運動を通じて関った人たちの座談会の記録が収められており、それぞれの著作の背景が分かるようになっている。第2部の、「Ⅰ 1960〜1970年代」、「Ⅱ 1970〜1980年代」では戸山高校在職時に日教組の教育課程研究委員会、和田氏が設立した家庭科教育研究者連盟や家庭科の男女共修をすすめる会のなかでつくってきた家庭科教育論について、「Ⅲ 1980〜2000年代」では、戸山高校退職後に大学の講師をしながら男女平等をすすめる教育全国ネットワークや国際婦人年日本大会の決議をすすめるための連絡会での活動にたずさわるなかでまとめた、ジェンダーの視点からの家庭教育や学校教育、教科書についての著作が収められている。「Ⅳ 戦後史における男女(ジェンダー)平等教育」では、女子教育、家庭における女性の生活に関する和田氏の個人史が収められている。したがって本書は、女子教育史、中等教育史、家庭科教育史、女性教員史、社会教育史、教育運動史、女性運動史、家庭教育など様々な視点から読むことができるだろう。例えば、私の研究関心であり本書のテーマの一つでもある戦後の高等学校の家庭科教育という視点からは次のようなことが読み取れる。

戦後、中等教育が一元化され、新制高等学校は高等普通教育と専門教育とを併せほどこす完成教育を行うものとして再編されることになり、のちに「高校三原則」と呼ばれる小学区制、男女共学制、総合制などがすすめられることになったが、男女共学制について、東京都では「段階的移行策」がとられ、「男女異数制」をとることになった(282-283頁)。和田氏が戦後に勤務した高校は旧制中学から新制高校(普通課程)になったところで、1950年から定員400名中女子100名を入学させることとなり、女生徒に対応するために和田氏が唯一の女性教員として採用された。家庭科は就任の2年目から「ぶらさがり」の選択授業として特設され、数年後に他教科並みの扱いになったものの芸能科との選択という状況がしばらく続いた(363頁)。当時の女生徒たちの志望理由には「自宅が近いから」、「男子に伍して学カを高めよう」というものに大別できた(284頁)という。男女異数制をとった都道府県では特に、新制高校発足当初から既に旧制中学を母体とした高校と旧制高等女学校などいわゆる女子系の学校を母体にした高校とで教員の配置やカリキュラム、卒業生の進路等に大きな差があったものと思われる。また、和田氏は戦後の普通課程における家庭科の創造にカを注いだが、戦前には高等女学校と東京女高師で学び、成田順や石田はる等に学んだノートやレポートなどが残っている。1995年の第4回世界女性会議NGOワークショップで浴衣の製作とファツションショーを行っている(32-34頁)など、裁縫の技術は高かった。戦前に養成された、被服領域に専門特化した教員が戦後も1960年代1970年代頃まで教員を続けていたものと思われるが、そのような教員たちの配置のされ方が、家庭科の専門教育と普通教育との関係に影響を与えたものと思われる。

ぜひ様々な分野の研究者の方に読んでいただけたら幸いである。

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