幸田露伴論考

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登尾 豊 著

『国文学 解釈と鑑賞』 2007年9月号
須田千里 (京都大学准教授)

本書は、露伴研究者として知られる著者のこれまでの論考をまとめたものである。昭和45年の「「五重塔」論―暴風雨の意味―」から、平成18年の「「幻談」考」まで、36年間にわたる30点の論考が、3部に再構成されている。

Ⅰは、作品論的に「露団々」「風流仏」「対髑髏」「一ロ剣」「いさなとり」「五重塔」「風流微塵蔵」「天うつ浪」「幽情記」「幻談」「連環記」等を論じたもので、本書の中核を成す。特に「「五重塔」論」と最祈の「露伴登場―「露団々」その他―」が力のこもった好論。前者は、作中の暴風雨が明治24年9月30日の台風3号に拠ることを考証、嵐の場面での「夜叉」の働きを人間の我慾への仏教的な刑罰と捉え、その嵐に耐えたことから、十兵衛の五重塔は我慾の所産ではないとする。十兵衛が死んでも立派に名を残」そうとしたことは、名誉慾などではなく、自己の存在の明証を求める心であり、世俗的な我慾とは別物だとする結論は説得的である。『新日本古典文学大系 明治編 幸田露伴集』の解説として書かれた後者は、長年露伴研究に携わってきた著者ならではの、初期露伴文学への含蓄に富む手引きであるが、函館・青森間の船賃、郡山・上野間の汽車の所要時間や、新聞広告による花婿募集の実例なども示されており、実証的な成果を兼ね備えている。

続くⅡは、テーマに即して露伴文学を紹介、分析したもので、初期作品に見える夢、少年文学(これが意外に多い)の分類と代表的作品の解題、明治期の文体、連句断片の成立時期、児玉照子との再婚のありよう、〈反近代〉 、西鶴・芭蕉・「遊仙窟」等の古典研究、明治23年の熊本旅行の実熊、江戸落語との関わり、露伴文学に描かれた父親像など、バラエティーに富む。知見が広がり、読んでいて楽しい。

Ⅲは概説的な文章で、露伴の文学、伝記、研究史等の解説。塩谷賛『露伴の魔』・高木卓『人間露伴』の解説や、露伴の自伝的文章の解説も含み、初学者には必読。

さて、本書全体を貫く問題意識は、露伴をいかに〈近代〉文学に定位するか、ということである。著者は最初期の「「五重塔」論」以来、露伴を〈反近代〉の作家として論じており、例えば「露伴の〈反近代〉」では、〈反近代〉という用語に即してその文学史的位置付け・再評価を要請している。これは確かに一定の説得性を持っているが、いまや「西洋文学の理念実現の度合」(「「五重塔」論」)をもって作家の〈近代〉性を計ろうとする研究者はあまりいないのではなかろうか。むしろ、個々の作品を詳細に考察することで〈反近代〉以外の多様な評価軸、側面が見出されてもよいと思う。しかしそうした試みの際にも、本書は拠るペき確かな立脚点となるはずである。

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