和田典子著作選集

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和田典子著作選集編集委員会 編

「新婦人しんぶん」 第2720号(2007年11月1日)
鶴田敦子 (聖心女子大学文学部教授)

 

家庭科教育は“生きるための土台” 憲法24条、25条の視点つらぬいて
出版された『和田典子著作選集』

男女平等教育に生涯を捧げた家庭科教育研究者連盟(以下家教連)元会長の和田典子さんが亡くなって2年。その500点をこえる著作から25点を選んだ『和田典子著作選集』(学術出版会 和田典子著作選集編集委員会)が出版されました。編集委員の1人、聖心女子大学文学部教授の鶴田敦子さんに、その業績と引き継ぐ家庭科教育の課題を聞きました。


『選集』の作業はおよそ2年かけて、朴木佳緒留さん(神戸大学大学院教授)や丸岡玲子さん(国際帰人年連絡会常任委員)はじめ8人の編集委員や3人の業績目録作成委員が分担しておこないました。業績目録は、朴木さんが1993年代までまとめられたものがべースになっています。
 

第1部は「和田典子の人とその仕事」をテーマにした座談会を収録、第2部は1960年〜2000年代を3期に分け、さらに「戦後史における男女(ジェンダー)平等教育」として、和田さん自身の個人史をジェンダーの視点でとらえた著作を収録。これは個人史にとどまらない興味深い内容です。

現場の実践を組み立てて、和田さんが理論化し、それをまた実践で生かしひろげる。そういう意味で、和田さんは、家庭科の実践者であり研究者、運動家として、その3つを見事に融合させ体現してきた人です。この『選集』は、女性たちの運動にも大きなヒントになることがたくさんあると思います。
 

和田さんは「家庭科が教育の対象になりうるのか」という議論に対し、いつも、「現実に家庭生活があって、子どもたちがそこに暮らし、たくさんの矛盾を抱えている。その現実を否定することはできない」と、憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」、24条の「個人の尊厳と男女の本質的平等に基づく婚姻の成立と維持、相互協力」の視点から理論を組み立てています。「とにかく子どもの現実から出発し、子どもの要求から出発する、それが家庭科だ」と、いつも言っておられました。

さらに和田さんは、家庭科の本質、目標について、それら憲法の規定をタテマエに終わらせず、実質的に保障することをめざして、生命と生活の再生産にかかわる家庭の営みとそのしくみを家庭科教育の、独自の対象としておさえ、

「a 、家庭の営みとしくみの事実を正しくとらえ、b 、生命と生活を守り発展せるために、科学や技術どう生かしてきたかを学びとることを通して、c 、家庭生活の矛盾を認識し、d 、これを打開する道すじを展望し、実践しうるカを育てるものでなければならない」(『選集』より)と家教連の先生方とともに、家庭科の理論をうち立てました。

この、家庭の営みとしくみを正しくとらえ、科学や技術を生かし、矛盾があれば打開の方向を探り、実践する、これこそが、いま教育学における世界的潮流にもたっている「市民教育」(社会に発言する市民を育てる)に通じることだと思います。
 

「女子のみ必修」(別項)だった家庭科は女子を家庭生活に押し込めるための教科でしたから、学習の発展がない、という議論もありました。でも、和田さんがイメージしていた家庭科は、先述のa〜d の視点で、本当は、どう生きるか、生きる力をどう身につけるか、というおもしろい教科なんです。いまの学校教育は自分の生き方にかかわって学ぶ教科は多くないし、生きるための土台の力リキュラムが位置づいていないと思います。

著作のなかで和田さんは、「家庭科不要論を克服する理論と実践」「なぜ、文部省は家庭科女子必修に固執するか」など、いまに引き継ぐ問題も多く書きのこしています。本書は、今でも、家庭科や男女平等教育や女性運動の理論的支柱になりうる論文ばかりが収められています。世界の家庭科を見ても、「教科論」として理論構築しているところは少ないし、日本の家庭科理論の底流に、和田さんをはじめとする家教連の理論や運動の影響は大きかったと思います。

しかし、男女共修になったものの、今、家庭科の総時間数は減らされ、中学校では1〜2年生で1時聞ずつ、3年生は0.5時間。高校は4単位と2単位がありますが、受験科目重視のなか、2単位の高校が約60%といわれます。学校教育のなかに男女平等を実現させるとりくみとしての家庭科への、「新しい歴史教科書をつくる会」などのジェンダーバッシングも引き続き根強いものがあります。

課題も多いですが、家庭科教育の充実は日本の学校教育を変えることでもあります。それは社会を変えることにつながっていくと思います。
 

【家庭科教育のあゆみ】
戦前の、女子だけが学んだ「家事」「裁縫」と決別して、戦後生まれた教科である家庭科は、当初、男女に開かれていた教科だったが、1960年代ころに中・高等学校では女子だけが学ぶ教科になり、それは約40年続いた。「なぜ女だけが家庭科を?」などの世論を背景に「家庭科の男女共修をすすめる会」(1974年設立)などの運動や、国連「女子差別撤廃条約」の批准(日本政府)も力になって、1989年の学習指導要領で男女共修に。実施は、中学校1993年、高校1994年。男女が学ぶ家庭科の実践に、和田さんはじめ家教連の理論や実践は影響を与えている。
 

【和田典子さん語録 本書より】

  • 自覚的な性役割とのたたかいがなければ、教育としての家庭科男女共修が成功したとはいえない
  • 男女別コースは、学校教育における男女差別の温床として日本の民主化をおくらせ、婦人労働の進歩を阻むことにならないか
  • 家庭科は自然科学や社会科学の法則を生活現象のなかでたしかめることによって、国民生活における人間疎外の実態をつかみ、その解放のためにたたかう力を育てるものでなければならない

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