戦後教育は変われるのか―「思考停止」からの脱却をめざして―

Kaizuka2008.jpg

貝塚茂樹 著

教育開発研究所 『教職研修』 2008年6月号
高橋寛人 (横浜市立大学) 

本書の著者、貝塚茂樹氏は、国立教育政策研究所主任研究官を経て現在武蔵野大学教授、主に道徳教育、宗教教育、戦後教育改革が専門で、『戦後教育改革と道徳教育問題』『戦後教育の中の道徳・宗教〈増補版〉』などの著書がある。

本書は「戦後教育論」「道徳教育論」「学校・教師論」の三部構成となっている。

第一部の「戦後教育論」では、これまで戦後教育について「戦前=悪、戦後=善」「国家(体制)=悪、教育運動(大衆)=善」という二項対立図式で説明されてきたが、そのような図式でとらえることは誤りであると、教育基本法、教科書、国旗・国歌などをとりあげて説明している。

第二部は、戦後道徳教育史を扱っている。占領初期、CIEが推進した社会科に道徳教育が含まれることになる中で、日本側が進めていた修身科の功罪の検証も戦後のあるべき道徳教育への検討も不十分なままとなった。天野貞祐文相の修身科「復活」発言と『国民実践要領』は、従来「逆コース」と批判されてきたが、そうではなく、占領初期に潜在化した課題が占領後期に顕在化したものであると論じている。この後、道徳教育は二項対立図式でとらえられ、その弊害はとくに深刻である。

戦後教育とくに道徳教育のあり方について、二項対立という政治的なとらえ方をこえて、教育(学)的に考えることが必要であるというのが本書の主張である。

このような見解について、評者は、戦後教育史を論じる上で二項対立図式は一定の有効性と必然性をもっていると考えるが、二項対立図式の弊害に関する本書の指摘に賛同するところは少なくない。

さて、現在の教育改革に対しては、まず第二部の終わりで批判している。学校選択制や民間人校長の登用など、教育の私事化が進んだ。それに伴い、教師は指導者ではなく「援助者」となり、教師の権威は失われてきた。これは道徳教育にとって大きな危機である。

なぜなら、道徳教育とは、「大人社会の価値基準に基づいて自己形成すること」が原則であり、そこでは「子どもにとっての外部(大人社会)の権威が何らかの意味で担保されなければ機能しない」からである。「一方で社会規範を教える役割を学校・教師に求め、一方で学校・教師の専門的権威を弱めることは明らかな矛盾である。」(一七三頁)。

現在の教育改革への批判は、第三部の「学校・教師論」でさらに展開される。

子どもをめぐる様々なことがらが、「個性重視」の名の下に個人の問題にされ、「心理主義化」によって心の問題にされている。不登校なども、「煎じ詰めれば個人の『こころ』の問題なのだというメッセージを、子ども達に伝えること」になり、「かえって子ども達を追い詰めてしまう」(二一七頁)。

過度の個人的心理主義へ傾倒してしまう要因のひとつは、道徳教育が貧困だからである。また、前述のように、教師の権威が失墜したから道徳教育ができないのであるが、他方、教師がしっかりと道徳教育を行えないから、教師の権威が失われたとも言えよう。

本書は、貝塚教授がこれまで教育雑誌等に掲載した論文や講演記録を一冊にまとめたものである。文章は読みやすく、著者の主張も明解である。戦後日本の教育とくに道徳教育の問題を考えるための入門書としておすすめしたい(入門段階を終えた方には、冒頭に紹介した貝塚教授の他の著書を推薦する)。

お問合せ・ご相談はこちら

教育・福祉・思想など人文・社会科学関係の学術書・テキストブックの出版を行っている学術出版会のホームページです!