日本銀行総裁 結城豊太郎 ―書簡にみるその半生―

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八木慶和 著 齋藤壽彦 監修 

政治経済研究所 『政経研究』 第90号(2008年5月)
齋藤壽彦 (政治経済研究所理事・千葉商科大学教授)

 

《本の紹介》
八木慶和著 『日本銀行総裁 結城豊太郎』を監修して

2007年に学術出版会から八木慶和著・齋藤壽彦監修『日本銀行総裁結城豊太郎―書簡にみるその半生―』が出版された。同書は刊行後、多くの注目を浴びている。著者の八木氏は元日本銀行職員で、同行のアーキビスト(史料係)であったといえる人である。私は監修の経過や同書刊行後の反響などについて地方金融史研究会における研究会(2008年2月22日)で報告したが、この本の監修者として改めてそのことについて記してみたい。

私自身が本書の刊行に関与しているから私が本書を論評するというのはおかしいと思われるかもしれないが、私宛に送付されてきた読者の感想文を紹介するという形をとりながら、できるだけ客観的に本書について記述したい。


1.本書刊行の経緯

本書刊行の意図は次のようなものである。本書は結城豊太郎が受け取った手紙を手掛かりに、第1次大戦末期から太平洋戦争期に至る時期の金融経済の推移と、その間における結城の活躍について述べようとするものである。結城豊太郎宛ての書簡を時代別にたどり、その手紙にコメントを加えつつ、当時の金融界の動きと、その間における結城の活躍を明らかにしようとしている。

結城豊太郎の手紙は南陽市立結城記念館「臨雲文庫」に所蔵されている。なお、結城豊太郎関係文書については東京大学法学部近代立法過程研究会編『結城豊太郎関係文書目録』を参照されたい。

八木氏の本書執筆の経緯については本書の「はしがき」において述べられている。これによれば、吉野俊彦氏が結城の資料を発掘し、公刊構想を抱いたが、その後、同氏多忙等の事情により、八木氏に原稿執筆が依頼された。吉野氏の指導のもとに、八木氏が結城豊太郎宛書簡に基づく本の原稿執筆に従事した。その際、結城の金融活動に重点を置き、個人的側面、政治活動などは削除した。

本書監修の経緯については私は「監修にあたって」において述べておいた。吉野氏の死去後、私が八木氏からの出版相談を受け、監修作業を引受けた。私は校閲(主観的な記述の削除等)、参考文献の取り纏め、校正、索引の作成、出版社との交渉を行った。

本書に客観性を持たせるために、高橋是清に対する個人攻撃に近い文章や、共済生命争議事件解決にあたって結城が北一輝へ資金提供をしたとの推測や、戦争期の日本銀行について、東大出身者に肩を持ち商業学校出の職員を軽視した表現や、日本銀行行員の個人能力評価について述べたりした記述等を原稿から削除した。共済生命争議では原稿にあった中村一派を中村派という表現に改めた。原稿をいかしたほうが読み物としてはおもしろかったであろうが、

私はこの本の学術的価値が疑われてはならないとの配慮から、資料的裏付けのない表現を削除したのである。なお、八木氏の原稿のコピーは斉藤が保管しているから原稿を確認することは可能である。


2.結城豊太郎の略歴

結城豊太郎の略歴を述べておこう。結城は1877(明治10)年に山形県赤湯村で生まれ、1951年に死去(享年74歳)している。

結城は、1904年に日本銀行に入行し、1915(大正4)年に名古屋支店長1918年に大阪支店長、 1919年に理事(大阪支店長嘱託)となっている。

1921年に安田保善社専務理事、安田銀行副頭取となったが、1929(昭和4)年に安田保善社専務理事を解任され、安田銀行副頭取も辞任している。

1930年に日本興業銀行総裁に就任した。

1937(昭和12)年に日本興業銀行総裁を辞任し、大蔵大臣に就任した。

1937年に大蔵大臣を辞任し、第15代日本銀行総裁に就任した。1944年に日本銀行総裁を辞任している。

1944年10月から1950年12月まで金融学会第2代会長を務めている(春井久志氏の指摘、日本金融学会編『日本金融学会60年の歩み』東洋経済新報社、2005年、366ページ)。

このように結城は日本の戦前の財政金融における大立者であった人物である。


3.本書の内容

本書は時期的には 1904年に結城が日本銀行に入行し、第2次大戦後の1951年に逝去するまでをカバーしている。結城の個人史ではなく、結城が関わった金融上の重大な事件や政策を中心に叙述されている。

具体的には、第1次大戦期や大戦後の日本銀行名古屋支店長・大阪支店長としての活躍、安田保善社専務理事時代における安田財閥近代化のための施策、日本興業銀行総裁として推進した同行の積極融資政策、日本銀行総裁時代の戦時金融政策の運営や金融体制に関する政策などが本書の中心を構成している。

大蔵大臣在任期問はわずか4カ月たらずであったが、当時の雰囲気も伝えている。


4.本書の意義

本書の功績として、第1に、手紙の解読を行っていることをあげることができる。八木氏は判読が困難な手書きの手紙の解読作業を行っているのである。

第2に、新たな事実を発掘していることをあげることができる。具体的には、まず、1918年の東京・大阪預金利子協定に関して詳しく記述している。

鴻池銀行の改組の事情を明らかにしている。本書は、1920年恐慌時における日本銀行の救済活動における結城の役割を明らかにしている。

安田銀行の預金利子協定違反問題に関して、鈴木茂三郎『財界人物読本』のみに依拠した吉野の記述を、本書は『銀行通信録』他で修正している。

共済生命保険会社のストライキ事件について吉野は、このストライキを結城の強引なことの運び方に起因したものとするが、八木氏はこれを共済生命保険会社の内紛として、その経緯を細かく記述している。改革派と守旧派の対立、安田の近代化をめぐる路線対立を明らかにして居る。浅井良夫氏は私宛の葉書の中で、人間関係の機微にわたる部分が歴史的には決定的な意味をもつことを改めて思い知らされた、と記されている。

本書は日本銀行法制定をめぐる大蔵・日銀の交渉経過について詳細に記述している。植田欣次氏は、私宛の手紙の中で次のように述べられている。第5章が圧巻で数多くのことを考えさせられた。日銀に対する大蔵官僚の支配が強まる中で、健全通貨の発行が困難になる中でいかに日本銀行が苦労し、また結城が信念を貫こうとしていたかを解明している。日銀法の制定が日銀の人達の反対を押し切ってなされたものであることは知らなかった、と。また及能正男氏は、『エコノミスト』2008年4月15日号の中で、本書が日銀法をめぐるさまざまな人間模様を生々しく伝えていると評されている。

本書は日本銀行総裁としての結城を「挫折の総裁」、「悲劇の総裁」であったとする(446ページ)。結城は戦時下で健全通貨路線を守ろうとして守れなかったということ、その苦悩を本書は明らかにしている。鈴木恒一氏は日銀OB会の会員誌『日の友』における本書の書評の中でこのことに言及されているとのことである。

第3に、本書は結城豊太郎の半生を解明している。江口英一氏は、私宛の手紙の中で、書簡にコメントを付して公刊するという吉野氏のプランを超えて、結城豊太郎の人となりと業績とが、時々 の時代的背景の中で浮かび上がっている、と本書を評されている。また、鈴木恒一氏は、書簡や書簡以外の多くの文献を駆使し、また著者が長年勤務した日本銀行で得た豊富な蓄積を活用して、結城の半生を描き出すことに成功した、と『金融経済研究』第26号(2008年4月)における本書の書評の中で述べられている。本書受取状の中で、南陽市立結城記念館の西山清館長は、従来、結城の伝記がほとんどなく、同館としても公的分野での結城の行動とその背景について精査することができなかったとして、本書の結城伝としての意義を認めている。

第4に、本書は金融関係の通史を概観している。本書は第1次大戦以降第2次大戦までの金融関係の通史を概観する上での参考となる。研究者だけでなく一般読者にとっても参考となる。結城記念館理事の完戸昭夫氏は私宛の葉書の中で、第2次大戦期、それ以前の時期の日本経済の変化がわかりやすく表現されている、と本書について述べられている。


5.本書の問題点

もちろん本書に問題点がないわけではない。江口英一氏は、先の手紙の中で、従来の書物(例えば吉野俊彦『歴代日本銀行総裁論』毎日新聞社、1976年)に比べて、八木氏は、結城にやや、身贔屓である、と記されている。また、東忠尚氏は私宛の葉書の中で、伝記の弊害として結城をやや高評価しすぎのきらいがあり、安田を追われたのは、かれの性格が災いした一面もある、ということを指摘されている。監修者として私は結城を過大評価したと読者に受け取られないような配慮をしたつもりであるが、一方で著者である八木氏の主張を尊重するように配慮した。本書の叙述が結城の過大評価といえるかどうかについては今後の研究にまつこととしたい。

江口英一氏は、日本銀行内の様々な政策思想の対比・整理が必要であり、八木氏は結城豊太郎を高く評価し、深井英五に批判的であるが、このような評価でよいか検討する必要がある(179、343ページ等)、と私に指摘されている。このことは今後の研究における新たな論点となるであろう。

江口英一氏はまた、日本銀行法改正問題に関する日本銀行内の考え方を(たとえば、プルーデンス政策や商業銀行主義についての考え方)を整理、検討する必要がある、と記されている。 1942 年に日銀法が大蔵省に押し切られた形で成立したのは日本銀行内に優れた人材が残っていなかったからといえるのか、ということが検討されなければならないであろう。

結城は井上準之助や深井英五のような正当派ではなく、きわめて有能かつ実行力に富む実務型リーダーではなかったか、ということを鈴木恒一氏が『金融経済研究』の書評の中で指摘されている。このことは確かに検討に値しよう。

石井寛治氏は、本書において手紙の文章が原文どおりに記載されているわけではない、と私に述べられている。厳密な歴史研究の観点からいえばそのような問題点があることは認めざるを得ない。

このような問題点があるとはいえ、本紹介の4で述べたように本書刊行の意義は大きいと私は考える。本書が研究者をはじめ、多くの方に読まれることを監修者として願ってやまない。

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