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石井和平 著

日本社会学会 『社会学評論』 第59巻第4号(2009年3月)
正村俊之 (東北大学大学院文学研究科教授)  

20世紀後半における情報化の進展に伴って、わが国では社会情報学という新しい学問が誕生した。社会情報学は、自然科学・人文社会科学にまたがる学際科学であるが、情報社会としての現代社会を解明する点で社会学と重なっている。社会情報学の課題を社会学的視点から解明することを試みた本書は、社会情報学と社会学のちょうど境界領域に位置している。本書は2部構成になっており、第1部は「理論編」、第2部は「現状分析編」とでも言うべき内容になっている。

第1部では、社会学理論の歴史的展開を踏まえて、社会情報学の理論的な位置づけがなされている。社会学は19世紀に誕生して以来、「方法論的な個人主義対社会学主義」「ミクロ対マクロ」といった対立に悩まされてきたが、20世紀後半になって社会学のコミュニケーション論的転回が起こった(第1章)。社会情報学の理論はその延長線上において、社会学的な二項対立を止揚するための理論として構想される。その際、著者は、C. H. クーリーの「心の社会」に言及し、個人と社会の二元論的な見方にかわって、主体の内に構造が存在する「入れ子的な二重性」が理論の基礎に据えられなければならないという(第2章)。ついで、人間の心を理解するための手だてとして「機械の心」の問題が取りあげられ、コンピュータによって実現される「機械の心」がP. ブルデューやA. ギデンズらの「構造/主体」二元論の再帰的循環論からの脱却を可能にすることが示唆される(第3章)。

第2部では、情報技術、インターネット・コミュニティ、信頼など、情報に関わる諸問題が論じられる。まず、インターネットを構成する情報技術として「デジタル技術」と「ネットワーク技術」が区別され、両者が組み合わさることによってエージェント技術が成立することが述べられる。現代の情報社会の新しさは、「清報の表出」を超えて「行為の代理」を行うエージェント技術の出現にあるという(第4章)。

次に、インターネット・コミュニティをめぐる考察がなされる。物理層に位置するインターネットと社会層に位置するコミュニティは、電子掲示板や電子会議室システムなどのアプリケーションを介して結合しており、アプリケーション層を研究することの重要性が指摘される(第5章)。そして、インターネットに支援されたコミュニティの事例研究として、自律型ロボットAIBOの再生産過程で果たしたAIBOユーザーのインターネット・コミュニティの役割が分析される(第6章)。AIBOユーザーのインターネット・コミュニティは「地域に依存しないコミュニティ」であるが、インターネット・コミュニティのなかには「地域に依存するコミュニティ」も存在する。その一例として、情報産業集積地域であるシリコンバレーが取りあげられ、その競争力の強さの秘密が人々の信頼関係を重視する経済コミュニティにあることが示される(第7章)。

最後に、信頼と情報の関係が原理的なレベルで検討される。山岸俊男、A. ギデンズ、N. ルーマンの信頼論や、R. パトナムのソーシャル・キャピタル論を援用しながら、信頼関係が社会的不確実性の高い状況のなかで「顔の見える関係」として形成されることが指摘される。そこから、社会的な不確実性を高める情報化は一次的な関係を喪失させるどころか、逆に一次的な関係の必要性を高めるという結論が導かれる(第8章)。

情報化に関しては、ミクロな視点に立った社会心理学的研究が多いが、そうしたなかで本書は、情報化の諸問題を社会学理論に引きつけ社会学的土俵のなかで考察した数少ない書物の一冊である。そのことが本書に内容的な重厚さと斬新さを与えている。特に、従来の社会学的な二項対立に代わる論理として「入れ子的な二重性」を提起されたことの意義は大きい。「心のなかの社会」という入れ子的な論理は、クーリーやミードの自我論に見られるが、評者の判断が正しければ、その論理の先駆はライプニッツのモナドロジーにある。ライプニッツは二進法計算機の原理の考案者であっただけでなく、世界を情報的視点から捉えた先駆者でもあった。ミードはライプニッツの影響を受けていたにもかかわらず、「入れ子的な二重性」を「近代的な二項対立の論理」に組み替えてしまった。われわれに与えられた課題は、ミードとは逆に、「入れ子的な二重性」を改めて情報的論理として取り出し、それを基底に据えた社会認識を行うことであるように思われる。本書で惜しまれるのは、第1部の内容が第2部で活かされていない点にあるが、それは今後に期待したい。

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