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橋本鉱市 著

『IDE現代の高等教育』 No.511(2009年6月号)
青木栄一 (国立教育政策研究所) 

政策が決定されたとおり実施されるのはまれである(プレスマン・ウィルダフスキー『実施』)。一方,政策決定の局面では関係者(アクター)の利害が鋭く対立し権力闘争が展開されることすらある。そこでは合理的判断に基づいた政策決定が行われるとは限らない。政策決定過程が注日されるのは政策の行く末を決めるのが決定段階にあると考えるからである(アリソン『決定の本質』)。

本書は占領期から1990年代を主たる対象として,政府,大学,専門職団体による医師養成政策の決定過程を明らかにしたものである。特に筆者は現代の高等教育政策を形成・決定するアクターは何かに関心を持つ(これはダールの『続治するのは誰か』と通底する問題関心である)。

序章と第1章は,理論的・抽象的記述が多いが,先行研究の乏しい領域で学的に誠実であろうとすれば致し方ないことである。社会科学(とくに政策科学)になじみの薄い読者は2章以降を通読した上で,結章と照らし合わせて読むとよい。評者は教育行政学を専門とするが,わが国の教育行政学が政策を所与のもの(ゲームのルール)として扱うのに対し(78頁),本書では政策を所与とせず,政策決定過程をルール形成ゲームと捉える点に,学ぶところが多かった。

第2章は,戦前を扱う章であるが理論的に重要な章である。というのも本書のように長期間の政策分析を行う場合,政策過程の初期条件がどのようなものであったのかを知ることが必要だからである。これは経路依存性を重視する歴史的制度論を彷彿とさせる。

第3章は,占領期の史資料を駆使しGHQ/SCAP/PHW,CIE,教育刷新委員会,文部省といった中央レベルの各アクターの動向が描かれる。占領初期には医専の統廃合を断行させるなど,占領軍の影響力が圧倒的であったが,占領後期に日本側の影響力も増大したことが明らかにされる。この時期は戦後の医師養成制度が形成され,主要なアクターが確定するとともにアクターの政策選好やアクター間の関係(レジーム)の原型ができあがる。

第4章は,厳格な医学部の定員抑制の時期を経て,医学部定員の拡大に踏み出す過程を扱う。日医と厚生省が医師数の抑制を志向していたものの,国民皆保険制度の完成(1961年)により医療ニーズが増大し始めたことで,医師養成数の拡大へと政策の方向が転換していく。これをうけ,文部省による医学部定員の引き上げという,行政組織レベル(省令レべル)で医師養成数が拡大された。それゆえ大きな政治対立も起こらなかった。

第5章は,大幅な医師養成数拡大の突破口となった秋田大学医学部の新設に関する事例分析であり,秋田県の全県一致の猛烈な陳情活動が実る過程が記述される。中央政府は新設に際して地方政府に財政面で依存する一方,地方政府は中央政府での予算編成過程で公式に医学部新設を認めてもらう必要がある。このように両者は相互依存関係にあり,一方的な依存関係ではない。新産業都市指定の政治過程分析を想起させる(村松岐夫『地方自治』)。

第6章は,1970年代における医師養成数の大拡充の政策過程をまとめている。この時期の特徴は自民党文教族の圧倒的存在感である。既存の国立大学に医学部を新設させるという行政的手法から,単科医科大学を新設するという政治的手法に転換する過程が描かれている。前者の手法では概算要求という制度上の制約を,各アクター(文教族も含む)は免れえないが,医大新設ならば,より政治的に政策を決定できるという知見は非常に興味深い。

第7章は,1980年代の医師養成数削減の政策決定過程である。特に国立大学医学部の定員削減である。拡大期と異なり,文教族が発揮したような政治力をもつアクターは存在せず,文部省が大学と相談しながら,概算要求というルーティン・ルートを用いて定員削減を実行した。しかも文部省の依頼は,容易に大学に受け入れられたわけではなく,質の充実というレトリックを用いてかろうじて定員削減が進んでいった。評者はかつて,公立学校施設整備事業を事例に分析を行ったことがあるが,1980年代に量的拡大から質の充実という,まったく同じレトリックが使われていたことに非常に興味を覚えた。

結章では,各時期についてアクターとレジームの観点から理論的にまとめられており,本書の問いに対する回答を提示する。特に政府,大学,専門職団体について縦(中央・地方),横(同レベルのアクター間)の関係を整除した箇所は,きわめて論理的である。

以下が評者の関心に基づいた各章のまとめである。本書の論述はきわめて精緻かつ理論的であるが,各章末には章括が設けられアクター,レジームの視点から知見がまとめられているため大変理解しやすい。また、戦前を含む6つの時期を時系列に比較することで,医師養成数というシングル・イシューの研究でありながら,知見の一般化に成功している。ただ,資料の制約もあり,各章で各アクターに関する情報の多寡が見受けられる。第5章でいえば秋田県政の情勢(議会勢力図,知事の政策選好等)を知りたかった。とはいえ,それは本書の学術的な価値を損なうものではなく,学界全体が引き受ける課題である。

本書の刊行により,教育社会学における高等教育論は公共政策論との接合を果たした。隣接科学の研究者としてそのことを喜ばしく思う。

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