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貝塚茂樹 著

「宗教新聞」 第549号(2009年5月20日号)

教師は道徳教育の専門職に

大学の教科書を念頭に置きながら、一般向けに学校における道徳教育を論じている。客観的な記述で偏りがなく、道徳教育の全体像を知ることができる。

現在、週1時間の「道徳の時間」が定められていながら、副読本を読むだけなどほとんど形骸化しているのは周知の事実。著者はその原因を、イデオロギー対立による、戦後の道徳教育論議の思考停止に求める。

明治に始まった国民教育における道徳の問題は、急激な西欧化への危惧がきっかけとなり、教育勅語と修身に結実した。もっとも、これが成功したかどうかはかなり疑問なことが、実証的な研究で明らかになっている。当然のことだが、徳目を教えてその通りに育つほど人間は簡単ではない。

戦後、それらが軍国主義教育として否定される過程で、新しい道徳教育の在り方が求められたのだが、占領下という特殊な政治状況のため、十分な反省と検討が行われなかった。教育現場の関心は、「何をしてはいけないのか」だけに向いていたという。

独立回復とともに、天野貞祐文相らを軸に新教育制度下の道徳教育論議が起こるのだが、日教組対文部省の感情的な対立が先行し、教育論として深めることができなかった。

その状況が続く中、日本は高度経済成長時代に突入する。日本社会の転機を東京五輪の1964年に置く識者は多い。豊かになって助け合う必要がなくなった。日本人の価値観が私益中心に転換したのである。

バブル崩壊を経て、今や日本は新たな貧困に直面している。格差社会での博愛が求められながら、それを立て直すための教育論議は乏しい。もちろん、責任の半分は家庭にあるのだが、教育機関としての学校の役目は大きい。NHK教育テレビの番組を見せてお茶を濁すのではなく、教師には道徳教育の専門職としての技量向上が求められている。

「この自覚の根本は、教育が人格の完成を目指す聖業であるという点に成立するべきである」との天野の言葉は重い。

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