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堀 孝彦 著

「週間読書人」 第2802号(2009年8月28日)
鈴木 正

大西倫理学の復権に挑む 研究と原典校訂によって構成

本書は「日本のカント」といわれた大西祝の『良心起源論』の研究(第一部)と、その原典に対するきめ細かい校訂(第二部)によって構成されている。

著者はこれまで『近代の社会倫理思想』(1983年)で西欧近代倫理の基本である個人の尊厳・人権といった「超越的な普遍者」の思想的意義を把握し、つぎに『日本における近代倫理の屈折』(2003年)では、それらを欠いて世俗の因習がはびこる日本での市民的倫理学の挫折を国民道徳論との対比であきらかにしてきた。そうした研究歴に立って倫理学の分野で唯一すぐれた意味での近代精神を貫いた大西倫理学を復権させようと努めている。

著者はまず「道理心」(理性)を行使した大西の批評の視座を「永久革命としての批判・啓蒙精神」とみる。良心とはなにかの根本課題を良心現象の構造(緒言・第一章)から入り、良心起源諸説の批判と道徳的理想の根拠(第二章)そして良心論の価値(第三章・付録)をとりあげて『起源論』の内容を念入りに解説している。

注目したいのは外的抑圧に抵抗する大西の「自己の独立・威厳」としての良心の自由論を強調している点である。「奴隷売買を是とする時に当て我一人は之を非とし又之を非とするが為に社会より迫害せらるる場合を想像せよ」という例を引いているところには強くひかれる。

また著者は脱線して思想史における批評の稜線の系譜に注視する。麻生義輝の哲学史に対する丸山真男の書評のなかに出てくる大西への評価を知った鶴見俊輔が「その思い出しの論理」から戦争中にも自由な考え方が消えていなかったという発言をわざわざ引いて、古典を現代につなげ、生かそうとする著者の目配りに共感をおぼえる。

著者は大西の積極的主張が自筆稿を大幅に増補した「道徳的理想の根拠」に集約されていると捉え、その「理想」概念の基底には冒頭でとりあげた批評と啓蒙の精神があるとみる。そのことが日清戦争直後の徳富蘇峰の転向に代表されるような帝国日本の現実に直面しても大西は揺がず理想主義的な社会主義の必要を唱えたと評価している。

第二部の原典『良心起源論』は、早稲田大学図書館の特別資料など六種類のテキストを用いて自筆稿を底本に『大西博士全集』第五巻を異本にして校訂し、厳密な異同を示している。この苦労を多としたい。

私は本書を研究書として読んだ。例えば中江兆民の『三酔人系経綸問答』は戦後も『明治文化全集』でしか読めなかった。桑原武夫らが多くの人に読んでもらおうと原文、現代語訳のあとに解説を付けて刊行した。両者それぞれの性格に応じて、ちがった役割を果たし影響をのこすだろう。

著者は大西を「倫理学における福沢諭吉」の位置を占める者とみているようが、キリスト教系では内村鑑三、反体制では中江兆民と並ぶ存在ではないか。末尾の教育勅語批判論文を読んで、そんな思想空間の拡がりを感じた。

私は1969年に大西の「武士道と快楽説」などをとりあげ、ストアの精神と武士の気質が通じる点から、武士道の精神に近代的理性の明識を加えた「広くせられた武士道」を発揮するのが、今日と将来の一大要務だという大西に感銘して「大西祝と武士道」を書いて以来、ずっと関心を寄せてきた。大西が伝統道徳と面と向かった理性の拡充的なあり方を省みることは、日本における近代倫理の屈折を超える手立てとなるのではないか。

(すずき・ただし氏=名古屋経済大学名誉教授・日本思想史専攻)


★ほり・たかひこ氏は名古屋大学名誉教授・倫理学・社会思想史専攻。東大大学院博士課程単位取得。著書に「近代の社会倫理思想」「英学と堀達之助」「日本における近代倫理の屈折」「私注『戦後』倫理ノート」、共編著に「『内村鑑三』と出会って」など。1931年(昭和6)年生。

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