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堀 孝彦 著

『日本英学史学会報』 No.119(2009年9月1日)
北垣宗治

本書は19世紀の末頃に異彩を放った先駆者的哲学者、大西祝(はじめ)の主著『良心起源論』に真正面から光を当てて、「忘れられた哲学者」大西の復権をはかることを目的に書かれた研究書である。いわゆる英学史の書ではなく、哲学・倫理学の書である。大西は同志社大学英学校時代に山崎為徳の影響をうけ、ミルトンに親炙した学生だったし、『良心起源論』にはマシュー・アーノルドの批評主義の影響があるので、英学史的に扱うことも可能であったろうが、著者は大西と同じく東大で哲学・倫理学を専攻した学者であり、また堀辰之助の子孫という独特のご縁もあって、英学史学会でも活躍している貴重な存在である。

英米のピューリタンたちは、命がけで「良心の自由」を追及してきた。だからピューリタンの伝統に立つ同志社英学校に育った大西が、「良心」を哲学的に取り上げることになったことは、まことに自然であった。彼はカントの説を踏襲しつつも、カントより一層広い立場に立つ。良心とは何かという問題を追及することは、倫理学の中心問題なのであり、それには理性と感覚の作用が分析されねばならず、すぐれて心理学的な考察とならざるをえない。

良心は道徳的感覚のいわば核にあたるもので、良心の起源を追及するために大西はプラトン的な人間理解の枠組みの中で、現実の不完全な人間が、理想としての人間へと向上することを目指すプロセスの中に良心の発露を見出そうとする。新約聖書「フィリピ信徒への手紙」3章12〜16節に表明されている思想もまた大西の考察を助けたかもしれない。大西は目的論的な世界観、人間観に立ち、機械論的な立場は取らない。

大西は教育勅語をめぐる論争に巻き込まれていく。忠孝を国民道徳の基本とする井上哲次郎に対し、大西は「国民道徳」なるものを疑い、元来道徳は普遍的なものであり、道徳の基本は忠孝を超越したところにあるとして、井上を厳しく批判した。こうして大西は「国宝の定めるところと、良心とが対立する場合には、良心の方を選ぶ」という立場に行き着くのだが、内村鑑三が受けたような迫害に直面する前に、36歳という若さで病死したことは、哲学界の大きな損失だった。

大西の論考に寄り添うようにして論述を進めている本書は、必ずや大西の復権に貢献するであろう。

(同志社大学名誉教授:英文学・新島襄)

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