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五島敦子 著

日本教育学会 『教育学研究』 第76巻第2号(2009年6月)
小池源吾 (広島大学)

教育の歴史とは、社会の変化や、時代の要請にみあう教育を絶え間なく創出しようとする努力と、そうして生み出された教育の機会をすこしでも多くの人々に分与しようとする2方向での努力の集積にほかならない。アメリカ大学史における19世紀後半から20世紀初頭にかけての時期は、それら2つの異なる方向での努力がめざましい進展をみせたことで知られる。そうした新しい大学像をいちはやく標榜し、その実現に努めたのがウィスコンシン大学であった。すなわち1904年学長に就任したC. R. ヴァンハイスは、新しい学部、学科の創設、大学院課程の設置、専門職養成のためのプロフェッショナルスクールの開設を推進する一方で、大学の門戸を広く市民に開放し、もてる知的、人的資源でもって学外社会に貢献するための取り組みに着手した。つまりウィスコンシン大学は、当時の著名な著述家にして編集者、L. ステファンズが言うところの「拡大(expansion)」と「拡張(extension)」の双方を同時に追求することによって、“一流大学”の仲間入りを果たしたのみならず、いわゆるアメリカ的な大学のプロトタイプともなりえた。

だが、大学拡張部が、ウィスコンシン大学の学内組織として1900年代から1910年代に成立をみる経緯をつまびらかにした研究は、以外にもけっして多くはない。その理由として、著者の五島は、大学拡張が成人教育領域でとり扱われてきたことを挙げる。しかも、連邦による成人教育政策という意味から農業拡張は積極的に取り上げられたものの、農業以外の拡張を意味する「一般大学拡張(General Extension)」は等閑に付されてきたと主張する。さらに、五島が言うには、ウィスコンシン大学が、ラフォレッテ州知事率いる革新主義政治と深く関わっていたという特有な事情も、大学拡張史研究の成立を阻んだ。大学拡張部の活動は、せいぜい政治改革運動の一場面、あるいは、州政治改革の方途としかみなされてこなかったからである。

しかし、大学拡張部は、もとより、大学自身の変化のなかで成立したものである。この事実こそは、大学拡張をあらためて高等教育史の文脈に位置づけなおし、その生成と展開過程を把捉しなおしてみることの必要性と可能性を明示しているように思われる。もっとも、従来の高等教育史研究のやり方を踏襲するかぎり、大学拡張は、教育と研究の伝統的な機能の後塵を拝することになる。著者が「サービス」という概念に着目したのは、そうした旧弊を克服せんがためであった。したがって、本書を貫く問題意識は、(1)どのような理念の変化にともなって、大学拡張部は生まれてきたのか、(2)大学拡張部をとおして提供されたサービスとはどのような特質を有するものであったか、(3)そうしたサービスは、大学自身にとってどのような意味を持っていたか、の3点に要約される。

全6章からなる構成を通覧すると、第1章で、1906年に大学拡張部が開設されるまでの前史を概観した後、大学拡張部の設立と運営をになった人物の考察が続く。すなわち第2章では、ウィスコンシン大学政治経済学部の教師で、州立法図書館長を兼務したC. マッカーシー、第3章で学長のヴァンハイス、第4章では、大学拡張部の運営にあたったW. H. ライティとL. E. レイバーを取り上げ、彼らのサービス理念について検討を試みている。次いで、考察は、大学拡張部が実施した事業へと移り、コミュニティ・インスティチュートに第5章を、そして視聴覚教育事業に第6章をあてている。大学拡張部の設立と運営を担った人びとの思想と、大学拡張部が実施した事業の2側面から研究課題に接近しようとした著者の目論見が窺い知れる。

ところで、ウィスコンシン大学拡張史に関する先行研究といえば、すぐにF. M. ローゼントレーター著『The Boundaries of Campas: A History of the University of Wisconsin Extension Division, 1885-1945』(1957)が思い浮かぶ。独特な文体と難解な用語に読者は辟易させられるものの、大学拡張史研究の白眉であることに異論を挟むものはいないだろう。彼は通史を扱ったのに対して、五島の場合、考察の時期を20世紀初頭10余年間に限定している。それだけに、渉猟した一次資料の質と量、それらの精緻な分析に、論述の平明さまで加味すると、この研究は、ローゼントレーターのそれに勝るとも劣らぬ高みに到達していると言ってよい。

だが、「解説文」ならいざ知らず、「書評」ともなれば、内容を紹介しただけでは、責任放棄の誹りはまぬがれないだろう。責務を全うしようとすれば、あらためて本書を大所高所から評価する任につかねばなるまい。そこで、“無い物ねだり”なども含めて、以下、若干の私見を開陳することにしよう。

まずは、「サービス」の概念をめぐるいくつかの問題提起から始めたい。

伝統的に、アメリカの大学、とりわけ国有地付与大学および州立大学は、本来は神への献身を含意した「サービス」というタームを用いて、社会との関係性を規定しようとした。だが、厳密に定義することもないまま、融通無碍にそのタームを使用してきたから、「サービス」の概念はじつは曖昧である。

本書では、その「サービス」という概念に着目して、大学拡張部の生成・展開過程を分析しようとするわけであるから、ひるがえって言うと、「サービス」の概念がどこまで明確になったかは、研究の成果を占う指標ともなるはずだ。

「サービス」の概念は、ヴァンハイスを扱った第3章で詳細に検討されている。それによると、学長就任当初、彼は、州改革のための顧問活動を「サービス」とみなしていたらしい。ところが、「サービス」の概念は再考され、「大学が関与しうるすべての活動を包摂する概念」(p.104)へと大きく拡大していくようすが描き出されている。しかし、「ヴァンハイスにとって、大学拡張とは、大学が社会の隅々まで光を照らす中心となって、あらゆる才能を開発する機会を提供することであり、それこそが、大学のサービス、すなわち大学の目的そのものであった」(p.105)と著者が論じたとき、「サービス」は明らかに大学拡張を含意しているわけだから、大学拡張はもとより、教育も研究もすべてを包含する、前述の「サービス」概念との間で齟齬をきたすことになる。しかも文中では、理念としての「サービス」と、その理念を具現するための事業としての「サービス」が厳格なルールを欠いたまま使用されているため、なおさら混乱を助長し、わかりにくくしているように思われる。

他方、大学拡張部の実践からサービスの内実を解明しようとする試みにしても問題がないわけではない。いみじくもレイバーが「文字通り大学を人びとの家庭にもたらす」のが大学拡張部の仕事と言い、料理や裁縫の講習まで含むと公言して憚らなかったように、大学拡張部は、多様な事業を実施している。学士の称号を取得できる成課教育の解放はもちろんのこと、機械工や、実業家、パン製造業者のための職業通信教育、市民団体を対象とするディベート、市民・ソーシャルセンター普及運動、福祉情報提供事業、大学教師による州議会への専門的な助言活動まで、フォーマルなものからインフォーマルなものまで多彩である。それだけに、なぜ、コミュニティ・インスティチュートと視聴覚教育事業のみを考察「の対象に据えたのであろうか。実践からサービスの内実を解明するという所期の目的に照らして、それが、どこまで妥当性を担保できるかを問題にしたいのである。

さらに、大学拡張部設立の経緯を解明するための方法論についてもすこしばかり注文をつけておきたい。

本書では、大学拡張部の開設と運営にかかわった主要な人物を中心に、彼らの思想を考察したところに研究方法上野特徴がみられた。同時代人を考察しようとするのであるから、論述において不要な重複や反復が懸念されたが、分析はいたって手際よい。そのことはひとまず評価したうえで言うのだが、大学拡張部の創設にかかわった複数人の思想を順次俎上にのぼせるやりかたは、整式や整数をひとまず因数に分解し、こんどはそれら因数の「和」を求めようとするのに似ている。分解された因数は、いくら加算してももとの整式や整数にはならない。掛け合わされてはじめて整式や整数となるのである。とすれば、マッカーシー、ヴァンハイス、ライティ、レーバーら4人のインターラクションにもっと注意を払う必要がありはしなかっただろうか。さらに言えば、シカゴ大学のW. R. ハーパー学長が、学内保守勢力の攻勢にあって、遠大な大学拡張構想の撤回を余儀なくされた事実や、イギリス大学拡張の紹介と普及に努め、初期大学拡張運動の守護聖人と目されながらも、H. B. アダムスは、自身が在職するジョンズホプキンズ大学では大学拡張に着手することすら叶わなかったという事実を想起してみるとよい。大学拡張部開設の経緯を動態的に把握するには、学内、学外の諸勢力との緊張関係や葛藤、あるいは軋轢を考慮に入れ、もっと子細に検討する必要があるように思われる。

アメリカ大学拡張史研究に携わるものとしての関心からすれば、1890年代の大学拡張運動との関わりにも目配せをして、その継承性と断絶性についてもうすこし踏み込んだ分析が欲しかったが、欲張りすぎであろうか。

ならば、最後にもうひとつだけ言わせてもらうと、革新主義政治遂行の道具とみなしてしまった先人たちと同じ轍を踏むことをおそれるあまり、著者が、革新主義を意識的に視界から排除してしまったのは、なんとも惜しまれる。革新主義を、ラフォレッテ政権下の政治改革と同義に解してしまうと、当然のことながら、その文化的社会的な意味合いは捨象されてしまう。その意味において、もっと広義に、この期のアメリカを席巻した時代思潮と理解したなら、ウィスコンシン大学拡張部成立の後景に、科学に寄せる期待や専門家の効用に覚醒した人びとの熱い思いや眼差しを配することができたかもしれないと考えるからである。

経営学者のP. F. ドラッカーは、非営利組織の自己評価手法を論じた著書のなかで、自分たちの使命は何か、顧客は誰か、顧客は何を価値あるものと考えているか、成果は何か、今後の計画はどうあるべきか、の5点を掲げ、それらについて自問自答することを、自己評価を行う際の要諦としている。20世紀の初頭、ウィスコンシン大学で大学拡張部の設立にかかわった人びとは、大学の使命に思いを致し、誰のために、何をすべきかという問題について自問自答し、熟慮を重ねたにちがいない。そのことを思うにつけ、いまや、業績主義の僕に成り下がり、目先の利益を追求するのに忙殺されているわが国の大学人が、大学の担うべき「第三の機能」に目覚める日が果たしてくるのだろうかと考え込んでしまうのである。

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